又吉直樹『劇場』 時折出てくる鋭い考察

  

劇場

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 Amazonより

 

どうも。この本について書きたいと感じたことは全て書いてみる試み中です。

 

哲学というか、真理というか、そういうことを小説ではポロッと書いてある。そういうのを丁寧に拾っていくのが僕はとても好きだ。『劇場』の中で僕がグッときたやつ、6こあるんです。今から紹介していきますぜダンナ。

 

能力の発揮

 

…自分を陶酔させるなにかがなければ能力は発揮されにくい。(30ページ)

 

これは、劇団「おろか」の公演『カギ穴』の本番で、稽古と違って段取りがグダグダになってしまい、雰囲気が壊れ役者が全員ひどい演技しかできなかったことを言っている。

 

仕事でも趣味でも、自分はこれできる! って思ってる時ってうまくいきやすいよね。根拠のない自信なんだけどね。それを持てるのって幸せなことだ。

 

自分を突き動かす力

 

…いや、自分から生まれた発想が本当に自分を突き動かす力を持っていたら、僕は他人の評価など構わずに、なんでもやってしまうだろう。結局そこまでの水準に達していないのだ。(39ページ)

 

うん、これは僕、よく使う考え方だ。この時永田は、脚本作りに難航していてなかなかこれだ! というものが出てこず悩んでいた。

 

よくFM802聞いていると、DJさんにお悩み相談をするリスナーさんで、気になる異性がいるけどどうやって声をかけたらいいかわかりません、どうしたらいいですか? というのがある。

 

なんでもいいから声をかけなさい。永田を見習いなさい。彼は沙希と初めて出会った時、警戒して早足で逃げようとする彼女を追いかけて、側まで追いついて、言った言葉

 

「靴、同じやな」(12ページ)

 

は? 違うのに。というか一番初めに何故それを言うのだ。その後も見てられないくらい変な言葉のチョイスで、でもなんとか沙希と喫茶店でお茶することに成功する。この時はなにかが永田を突き動かしたんだな。

 

だから、実際に声をかけずに、どうしたらいいですか? って聞くってことは、そこまでその人のこと気になってないってことじゃない? でも諦めれるほどでもなく、他人に諦めのつく理由を探してほしいとか。

 

似ているけど決定的に違うこと

 

 

…ここではないどこかへ行きたいと願うことと、ここではない別の場所を自分達で作ろうとすることは似てはいるが、決定的に違うものだ。(67ページ)

 

これは沙希がヒップホップの曲が好きで、永田は全然聴いたことがなく、沙希と好きなものを共有したい一心でヒップホップの歴史とかの本を買い漁って読んで、その歴史についての解釈を言っているところ。

 

仕事でいうと、前者は転職、後者は新規事業立ち上げって感じか。僕は今、前者よりも後者がいいものという解釈をしている。自分にとって居心地の良い職場を探している時、ここじゃない、ここも違うと感じて色んな職場を転々とするのが普通だと思う。

 

多分それで、前の職場よりはマシな環境に変わっていくと思う。自分がそうだったから。あちこち転々とするのは良くないように見えるけど、「するべきじゃない」とか真面目に考えて今の職場に我慢して居続ける、そっちの方が良くないと思う。

 

ここに居たくないっていう雰囲気は、いくら気を付けても僕は周りには隠しきれないものだと思っているので、周りは気づいて、我慢してないで早く言えよって思っているかもしれない。

 

場所を移動することで自分の居場所が見つけられない場合、もうやることは1つだ。居心地のいい場所を自分で作ることだ。別に会社を新しく作るとかしなくても、今いる職場で自分の考え方を変えて、ルーティン作業でも嫌な人でもなんでもポジティブに捉えて楽しくやるとか。

 

こういうの書くの好きなんだけど、書いてるとなんか机上の空論を述べているような虚しさを覚える。具体的な話が足りないからかな。居場所作り…僕のブログ作りは僕の居場所作りだ。

 

好きなことして食べていく

 

…好きな仕事で生活がしたいなら、善人と思われようなんてことを望んではいけないのだ。恥を撒き散らして生きているのだから、みじめでいいのだ。(71ページ)

 

永田は、沙希の親に好かれたいと思っている。でも実際はそうじゃない。ヒモなんだし当たり前だ。そこで言った言葉。

 

現実的でいい。またFM802の話になるけど、芸大のCMが流れてて、「夢を実現しよう!」とか「ワクワク、ドキドキがいっぱい」とか、すんごい煽ってくるんだ。楽しいことしか待ってませんよみたいな空気を出すの止めてほしい。

 

自分は食べてゆくことができるのか、というワクワクドキドキはあると思う。

 

嫉妬は何のためにあるのか

 

 嫉妬という感情は何のために人間に備わっているのだろう。…自分の持っていないものを欲しがったり、自分よりも能力の高い人間を妬む精神の対処に追われて、似たような境遇の者で集まり、嫉妬する対象をこき下ろし世間の評価がまるでそうであるように錯覚させようと試みたり、自分に嘘をついて感覚を麻痺させたところで、本人に成長というものは期待できない。他人の失敗や不幸を願う、その癖、そいつが本当に駄目になりそうだったら同類として迎え入れる。その時は自分が優しい人間なんだと信じこもうとしたりする。この汚い感情は何のためにあるのだ。(140、141ページ)

 

長くてすみません。でも、本当に何のためにあるのかって思う。いいことがないよな、嫉妬から生まれるもので。これは人気劇団「まだ死んでないよ」の脚本・演出をする小峰のインタビュー記事を読んでいて、ふと永田が考えたこと。

 

嫉妬は本能的な感情なのかなあ。いいもの持っている奴がいたら、それは自分にとってもいいものに違いなく、生存に有利になるはずだ、だから何としてでもそいつをおとしめて、いいものを奪ってやる、的な。

 

嫉妬に支配されるのはヤだな。でも消そうと思っても、簡単に無くなるような感情じゃない、生存本能と結びついてるはずだから。となったら無視するしかないな。感情に反応しないというか。どうやったらそれができるのか、わかんないけど。

 

あ、あれだ、ゆツんさんの、幸せになって復讐するのが有効じゃないだろうか。

 

www.yutsun.com

 

僕は嫉妬の力を借りなくても十分幸せに生きてけるから、と感じられる生き方を探る。うん、それだ。

 

生きていることを強く感じる

 

…演劇によって自分は苦しんでいるように感じていたが、この時期は演劇がもたらす苦しみによって生きていることを強く感じることができた。(146ページ)

 

永田は沙希との関係が悪くなって、仕事用にと借りた安いアパートに一人こもって脚本作りをしていた時の言葉。

 

演劇好きなんだな、永田は。なんか、ほんとに前向きだよな、演劇と向かい合っている時。対人関係での不安定さと対照的だ。沙希に一度、今までよく生きてこれたね、みたいなこと言われるシーンがあったけど、この演劇へのこだわりが生命力になっていたんだろうなあ。

 

永田が羨ましく思える。この1点において。生きていることを強く感じたこと、今まで僕何回あったかな。大学辞めることを決心した時とか。自分みじめだなって感じる時に、生きることを強く感じるの多いんじゃないかな。

 

でも、みじめな時って、恥ずかしくて人に見られたくないと思うのが普通だ。そしてなんでもいいから早くこの状況から脱したいと願う。で、脱してしまって、生きることを強く感じるチャンスを逃す。

 

恥という感情も、嫉妬と同じくらい邪魔な感情だと僕は思う。このことについてまた書きたいなあ。

 

おわりに

 

はい、又吉直樹『劇場』の、ポロッと出てくる鋭い考察集でした。まじめに書いたなあ。皆さんのまじめさを磨く助けになれば幸いです。

 

最後まで読んで頂きありがとうございます!ではまた!