いじめに遭ったことがなく、いじめる側だったこともない者がいじめについて考えていること

 

 

似たようなのには遭ったことある。

 

今の職場で、先輩が頻繁にちょっかいかけてくるんだが、そいつはボクより年下なのだが、あまりに度を過ぎてこちらを嫌な気分にさせてくることがある。

 

最近はまあ慣れてきて、あと何回か本人の前でキレたので、嫌な気分になるちょっかいは減った。具体的にどんなちょっかいかというと、「今日仕事多いわー、やる?」「遠慮せんでええで」「やってくれたら5円あげるわ」ってやつとか。ボクの作ってる最中の技工物を手に取って、壊そうとするフリをするとか。

 

結局ボクが悪いんだ。相手のちょっかいにいちいち反応してしまうから。だから向こうも乗ってくる。ラボのベテランの先輩(40代、50代)に相談したことあるけど、「無視すりゃええねん」。そうだよな。ボクがこのラボ来る前は、ちょっかい出す先輩は誰からもあまり相手にされてなかったらしい。仕事のクオリティが低いし、仕事中よく寝るし、仕事中よくスマホいじってるし。それが、ボクと話す時は今まで見たことないような打ち解けた表情で活き活きとしてるらしい。

 

進撃の巨人』でいうと、ユミルみたいな。んでボクがクリスタ。

 

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進撃の巨人(12)より

 

問題は、ボクが無視できないことだ。「なんで反応しちゃうのかな、そんな嫌な奴なのに」ってベテランの先輩から聞かれたことがある。その時ボクは「自分が無視されるのが嫌やから」と答えた。はっきりとそう確信があるわけじゃないけど、ボクの口から出てきたのはそのコトバだった。無視ってどうやるのかな。コワくてできないだけなのかな。

 

あ、何が言いたいんだっけ。そうそう、結局自分でなんとかするしかないよ。いくらちょっかい先輩より上の先輩にやめさせるよう頼んでも、上の先輩の目の届かない時を狙ってちょっかい先輩はボクに話しかけにくるからな。なんだよ、ボクのことが好きなのかよ。ホモか。ゲイか。悪いな、ボクは女性が好きなんだ。男性を恋愛の対象として見てない。ほんとに今のラボで仲の良い話し相手いないんだな。

 

次逆の話。

 

ちょっかい先輩みたいに、自分の弟にちょっかい出して泣かせたことは何回かある。もう、書きたくない。忘れてしまいたい。いやでもボクはまだ忘れている方だきっと。嫌なちょっかい出された側はよぉーーく覚えてるもんだ。ボクがちょっかい先輩からされたのをよく覚えているように。

 

というわけで、ボクは以上に書いたようなちょっかい出される側、出す側になったことはあるけど、いじめというほど深刻な目には遭ったことがない。深刻とは、親とか学校関係者とかを巻き込むくらいの、いじめられる側が不登校とか転校になるくらいの、という意味で。

 

で、本題だけど、ボクがいじめについて考えること。2つ。

いじめる側はとにかく退屈しているということ。いじめられる側は演劇のプロだということ。1つずついきまーす。

 

いじめる側はとにかく退屈している。

うちのラボのちょっかい先輩とか、『3月のライオン』5巻に出てくる、川本ひなたの友達のちほちゃんをいじめてた女子とか。今いる環境でやるべきことは最低限やっている。そしてそれ以上しんどい思いして何かをする気はない。学校で、職場で、退屈だ。こんな感じか。何余裕ぶっこいてんだろうな、こういう奴って。ボクは今自分の思いを文章に表現することでいっぱいいっぱいだぞ。そんでその退屈しのぎに他人に嫌がらせをするってとこが激的に趣味悪い。

 

ちょっかい先輩がこっちの嫌がるようなちょっかいとかコトバとか出してくる時さ、ヤツの顔は楽しそうに笑ってるんだよ。フクちゃんにも何回か相談したことあるけどさ、「そういう人って、自分ではおもしろいこと言ってるつもりなんだよきっと。こっちが笑ってるから、余計おもしろいこと言ってるオレ、って勘違いして止まんないんだよ」。なるほど。

 

ボクはつい向こうの雰囲気に合わせてノってしまうからな。愛想笑いしちゃうからな。お、2こ目の話題移れそうだな。1つ目の話題のシメをしよう。いじめる奴はクズだ。なんで退屈してるのかとか、どういう家庭環境で育ったか、どういう過去を持ってるのかとか、一切興味がない。こちらの邪魔をしてくるノイズでしかない。それよりも自分のことについてもっと考えよう。

 

いじめられる側は演劇のプロだということ。

 

演劇ってさ、与えられた役になりきることでしょ? いじめも1つの劇だとボクは前々から思っていた。配役は2つ。いじめる側、いじめられる側。いじめる側が何かアクションを働きかけてきた時、それは劇のはじまりの合図。「こっちがいじめる役するから、オマエいじめられる役な?」そういう宣告だ。いじめられやすい人は、たとえ嫌でもなぜか相手のアクションに応えてしまう。ボクもそっち系だ。できたら無視すればいい。劇に参加しない意思表示だ。でもそれができない。ならそれ以上自分を責めるのはやめよう。無意味だし。

 

ボク大学生の時、英語劇の部活やってたよ。やっぱり役になりきるの好きらしい。まあ余談ですが、嫌なのにいじめられる側やってしまうって、相当な演技派だと思う。無意識にやってしまうってことだし。その道に進めば大成するんじゃないか。

 

テレビドラマって絶え間なく作られては視聴者に消費されてるじゃん。週末になれば新作の映画が封切りになるし。自分だって家庭の自分、職場の自分、友達と一緒にいる時の自分でやっぱちょっとずつ違うよね。つまり、人生は演劇なんだ。そんな風に感じる。だとしたら、いじめられる側は無意識でも役を演じることができるんだし、意識しだしたらヤバいんじゃねーの。人生思うがまま。

 

ポイントは、自分から進んでいじめられていると捉えることだ。たとえそう思ってなくても。無意識に進んでやっている。決していじめる側にやらされているわけじゃない。人はそんなに弱くない。いじめられてあげてるだけだ。向こうは何か力を持っていて、それで抵抗できないように見えるかもしれないが、それは表に出しているオーラの違いだろう。『ハンター×ハンター』で“ゼツ”という技があるね。自分のオーラを外に出さないようにする技。いじめられる側は“ゼツ”を使っている。話がファンタジーになってきた。

 

対人関係のカードは、常に「わたし」が握っている

 

これはボクの愛読書『嫌われる勇気』の中に書いてあるコトバ。アドラー心理学という、フロイトの「トラウマ」とかの原因論的考えとは真逆の考え方を説いている本。それによると、

 

すべての悩みは「対人関係」の悩みである

 

と断言している。人生は演劇だから、他人と何か演じあうから、そう言われるとそうかなって気はする。

 

それで、なぜアドラー心理学をここで持ち出したかというと、「人が何かしている時、その人なりの目的が必ずある」という考え方をするからなのだ。

 

いじめられている人は、何か目的があっていじめられるがままの状態に甘んじている。そう考えてみる。ボクとちょっかい先輩の話で考えてみる。

 

ボクは挨拶と仕事の話以外、ちょっかい先輩にはアクションを起こさない。なのに向こうはおかまいなしにどんどこ話しかけてくる。こちらが奴を嫌っているかどうかなんて向こうには関係ないんだろう。『進撃の巨人』のユミルみたいに、優しく笑って話を聞いてくれる、そこが重要なんだろう向こうにとっては。だって他に職場で仲の良い話相手いないんだもの。

 

ボクは、話しかけてくるんなら応えるけど、って感じ。自分からは関わりたくないタイプの人だと思っている。じゃあ無視すりゃいいじゃんって、だからできないんだよボクは。嫌なんだよ無視は。お互い無視し合ってるのってすんごく居心地悪いだろ? ボクはそうなんだよ。だから相手がちょっかい出すままに応じてる。だから嫌な思いすることがある。

 

いじめられてる人も、そうだったりして。いじめてくる奴とは関わりたくないと思っている、でも別に無視はしない。無視し合うのは居心地悪いの知ってるから。それが嫌だから。で結局向こうがしかけてくるアクションに乗っかってしまう。

 

どうしようもないよね。我慢の限界が来たら本人の前でキレるとか、職場変えるとかしかボクは思いつかない。どうしようもないけど、ちょっかい出されるまま、いじめられるままでいるのも自分の意志だと思えたら、自分なりに理由があると思えたら、前とは少し変わってくる。向こうが仕掛けてくるクソみたいな劇に乗るか乗らないかも自分の意志で自由に選べる。実際にするのは難しいけど、選べるって思えてるとこがまだマシだ。対人関係のカードはいつも自分が持ってるから。それを言いたかった。