生活の9割以上は消費だけど、創造を諦め切れない人へ 10コのエール ~又吉直樹『火花』より~

 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

 

 

 

生活の9割以上が消費で、残りの1割未満で何か創造・創作をしてる人、しようかと思ってる人に読んでもらえたらと思って書いています。1日の1割ってどのくらいかな。24時間×0.1=2.4時間。けっこうある。毎日2時間小説を書いている、絵を描いている…なかなかすごいよね。毎日1時間でも全然すごい。毎日ってところが難しい。つい「今日はやめとこ」ってなってやらない日がある。別にいんだけども。毎日やらなきゃってプレッシャーにペシャンコにされて再起不能になるよりは、たまに休むけどずーーっと続けてる方が身になる。

 

それでですね、又吉さんの『火花』を読みました。ボクにとっては『劇場』よりおもしろかった。ページ数少なめで読みやすいし、作中のお笑いネタも面白い。主人公の徳永は相方の山下とスパークスというコンビを組んで漫才をしてて、まぁそんな簡単なことじゃないんですね、芸人として食べていくというのは。いろんな壁とか苦悩があるわけで、その辺の描写が、他人事じゃなく思えた。

 

突然ですがここで、ボクの好きな曲の一節を。

 

息を吸って 命を食べて 排泄するだけの猿じゃないと 言えるか

  ASIAN KUNG-FU GENERATION新世紀のラブソング」より

 

 

ボク、アジカン好きなんですよね。「新世紀のラブソング」は、個人的にここの歌詞がすべてだと思っている。なんか煽ってくるよね。誰に向けて言ってんだろうね。別にさ、生き物なんだから 息を吸って命を食べて排泄するだけでもいいよね。普通だよ。

 

でも、何かそれだけじゃ嫌だな。何か自分にしか創れないものつくりたいな。足掻きたいな。そう思ってしまう人へのエールです。自分がグッときたものから順に10コ挙げます。気になったとこだけ読んでください。

 

 

一、舞台に立つということ

 

だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度で良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持など微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。(150~151ページ)

 

自分で何か発信することって意外に少ないよね、日常で。でもツイッターってあれ、舞台の1つだ。ボクも、自分のツイートに誰も何も反応しない時は、ああこのつぶやきは特に何のつっかかりもなかったんだ、と思う。別に毎回毎回反応欲しいとも思ってないよ。逆にいいねとかリツイートされたら嬉しいよねー^^ そういうことを言ってるよねこの引用文は。そして続きがあるんだこの文には。

 

必要がないことを長い時間かけてやり続けることは怖いだろう?一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。無駄なことを排除するということは、危険を回避するということだ。臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。(151ページ)

 

そう、怖い。ブログ、いつになったら結果出るんだろうってね。初めてまだ2ヶ月の奴が何言ってんだって怒られそう。でも怖いものは怖い。正社員だったのをアルバイトにしてやってるから、余計怖さ増す。

 

でも思うのは、正社員のまま無駄なことを排除し続けて、ブログもツイッターもしない(ツイッター、2ヶ月前までしたことなかった)ままだったら…つまんなかったろう。歯科技工なんてさ、無駄の対極にあるもんじゃん。歯作ってくれるんよ、誰が止めるか。でもねぇ…つまんないよねぇ。危険回避ってつまんないよ。仕事中さ、犬歯をドラキュラみたいにすごく背の高い尖った歯にして下さいって注文してくる患者いないかなとか、使ってる材料で乳首の形を作ったりとか、ボクは割と遊ぶ。無駄を欲しがっているのかも。そういうことをしてもいんだよ、やりたかったら。ほぼ毎日記事書いてたけど、長めのまとめ記事書いてみたくなったから今書いてるんだよ。必ずたくさんの人に読んでもらえる保証もないし、この人記事書かなくなったなって思われるし、自分としても3、4日記事を1つも更新しないのはイヤだなって思う。でも書いてみたいので、書きまーす。さぁ、あなたも舞台に立ってみたいと思っているなら、立ってみよう。

 

二、経済力がない男

 

恋愛において、経済力がない男と付き合っている女性も、いつまでも男を養っていこうとは思っていないはずだ。いつか、真っ当に働き稼いでくれると将来性を買っているのだ。つまり、そう思わせるのも実力であるというのが神谷さんの考え方だった。(77ページ)

 

神谷さんていうのは主人公徳永の師匠。真樹さんという女性にごはん食べさしてもらったり、アパートに居候させてもらったりしている。徳永と呑むためのお金も真樹さんに出してもらっている。

 

ボクは個人的にヒモはムリだ。そこまで相手に寄りかかったら、自分の好きなことする心の余裕が0になる。だって、養ってくれてる人のひと声で自分の生活がどうとでもなるってことだよ?「もうイヤ」って言われたらオワリだし、自分一人分の生活費は自分で稼いでないと落ち着かない。でも別に、その方が好きなことに集中できる、自分には養ってくれる女性(男性)がいる、っていうのならそれでいいと思う。

 

ボクはやっぱりヒモってとこで神谷さんに好感が持てなかった。真樹さんと神谷さんは夫婦のような感じなのだが、ある時真樹さんに男ができる。

 

作業服を着た男が座っていた。男は顔に髭を生やし肉体労働者らしい体躯をしていた。胡坐(あぐら)をかき再放送のドラマを眺めて泰然とはしているが、静かに殺気立っていた。(104ページ)

 

真樹さんを神谷さんから守ろうということなんだね。でも、この男の人にもボクは好感が持てない。現実的すぎる。自分で何かやったろうみたいな気配が感じ取れない。金を稼ぐ=雇われて労働すること としか考えてなさそう。違うのに。それだけじゃないのに。労働というコトバは奴隷を連想させるから好きじゃない。そりゃ世界は一握りの天才とその他大勢の凡人に分かれてるよ。ボクも労働で生活を成り立たせてる経済力のない凡人だけども、消費だけして人生終わるのは嫌だ。真っ当に働き稼ぎつつ、自由時間の確保も怠らず、やりたいこともやる。ボクの今目指すところ。

 

三、批評( 正当じゃないやつ)

 

人を傷つける行為ってな、一瞬は溜飲が下がるねん。でも、一瞬だけやねん。そこに安住している間は、自分の状況はいいように変化することはないやん。他を落とすことによって、今の自分で安心するという、やり方やからな。その間、ずっと自分が成長する機会を失い続けてると思うねん。可哀想やと思わへん?あいつ等、被害者やで。俺な、あれ、ゆっくりな自殺に見えるねん。……一番簡単で楽な方法選んでもうてるでって。(113ページ)

 

by神谷さん。いいこと言うなぁ。これは自分への戒めになる。創造・創作活動するにしても、他人を傷つけるのが目的だと人は集まって来にくい。フォローもいいねもリツイートもされにくい。む、なんか当たり前のこと書いてるな。そもそも他人が嫌がることしてて、自分の気分が悪くならないか?気分悪いとそれだけで体力消耗するし。ゆっくりな自殺、という表現はうまい。

 

 四、下ネタを表現するかどうか

 

神谷さんに、そんな制限はない。周囲を憚らずに下ネタを言ってやったというアウトローとしての行為を面白いと思っているのではない。あくまでも、面白いことを選択する途中に卑猥な現象があっただけなのだから、それを排除する必要を微塵も感じていないのだ。(73ページ)

 

神谷さんはそうだけど、徳永は違う。

 

そんな神谷さんとは対照的に、僕には主題が他にあり、下ネタがただの一要素に過ぎない局面でも、それを排除する傾向にあった。(73ページ)

 

表現するかどうか、迷ったことある人は多いんじゃないか。表現すべき!とかすべきでない!とか絶対的な答えはないけど…下ネタを排除してるにも関わらず、おもしろくなってないものと出会うと なんなんだ ってなる。あなたは下ネタが人を不快にさせると思って、せっかくのおもしろいことも冷めさせてしまうと思って、排除したんじゃないの!?なのに!って。…全ての表現者がおもしろさが必須とか、そんな決まりはない。ボクが単におもしろいこと好きなだけなんだ。勝手におもしろさを求めてガッカリしてるだけなんだ。

 

下ネタは好きだよ。周囲を憚らずに言うアウトロー的行為も好きだよ。急にここから「チンコ」を連発するとか。でももうちょっとさりげなく文章の途中にそっと忍ばせておきたい、ボクは。そんでクスっとくるのがいい。

 

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魔法陣グルグル (4)より。こういうの大好きだ。ジュジュがかわいい。

 

五、ないものを自分で考えてつくること

 

俺の実家は全然貧乏じゃなかってん。子供の頃な、ゲームとか玩具とか普通にあったからな、それで遊んでてんけど、……ないなら自分で作ったり、考えたり出来るやん。そんなん、めっちゃ楽しいやん。作らなあかん状況が強制的にあんねんで。(27ページ)

 

by神谷さん。それこそが創造ですよね。ゲームとか玩具で遊ぶのは消費。

 

今はなんでもあって、その中から欲しいものを買う(消費)ことが当たり前になっている。創造する必要がなくなってきている。そうなのだろうか?

 

ボク、テレビゲーム好きで、ポケモンよくやるよ。楽しいよ。ただ、1つ不満なのは、それが誰かの考えた世界で、その世界で遊ばされてる、操られてるような感じがたまにすること。そう感じたらちょっと消費をやめたらいい。ボクは文章でも書くよ。

 

文章書くときに最近感じるのは、ワードで文字打つよりも、大学ノートに手書きで書いていく方がいいってこと。書きたいことをよりはっきりと書ける、そんな気がする。この文章も一回ノートに全て手書きしている。よくわからないんだけど、書く勢いがつく。厳密に言うとさ、キーボードで文字打つのは「書く」って言わないよね。別に一度手書きしてみて、とも言わない。その人が一番文章作りやすいスタイルですればいいのだ。ボクは手書きの日記を10年くらい続けているので、そっちの方が慣れてるんだと思う。

 

六、周りの評価気にしても結局自分の作るモノ変わらない

 

「お前は、あんな意見気になるか?」

「僕はアンケートに書かれてる意見とか割と気にします」

「劇場に来てるお客さんの意見はな。ネットとかは?」

「なります」

……

「周りの評価気にしても疲れるだけやん。極論、そこに書かれてることで、お前の作るもんって変わるの?」

「一切、変わりません」

「せやんな。俺等、そんな器用ちゃうもんな。好きなことやって、面白かったら飯食えて、面白くなかったら淘汰される。それだけのことやろ?」(114ページ)

 

 

そうか。ボク、ブログ始めて50記事くらい書いたけど、まだ自分の作るものが変わらないという感じはしない。まだいろんなテーマで書いてみてる感じがする。

 

でも自分の考えることについては、テレビ、映画、本など何を見ようが変わらないと感じる。何を見ても、世界をどういう見方で見るか、好きなことをやり続けるにはどうしたらいいか、お金に換えるにはどうしたらいいか、どうしたら幸せになれるのか、そういうことに結びつく。多分、100記事、200記事書いてくと、書くものも変わらないのわかるんだろうな。

 

うん、これは嬉しいことだ。どうせ作るもんは変わらないんだから、悩んでないで作れ、ガンガン作れってことだよね。ありきたりな結論に至った。

 

なんかなあ。周りが気になるんなら、気が済むまで徹底的に気にした方がいいんじゃないの。それである時、あ、気にしても疲れるだけだ、やめよ。とか悟れるんじゃないの。所詮、他人の言うことで自分が未経験のことは、自分には参考にならない。自分で経験してみて初めて参考になる。

 

七、キャラ≠個性

 

たとえば一年を通してピエロの格好を全うするという人がいた場合、これは個性と言っていいとも言った。……「でもな、もしそのピエロが夏場に本当は暑いからこんな格好はしたくない。と思っていた場合、これは自分自身の模倣になってしまうと思うねん。自分とはこうあるべきやと思って、その規範に基づいて生きてる奴って、結局は自分のモノマネやってもうてんねやろ?だから俺はキャラっていうのに抵抗あんねん。」(83~84ページ)

 

は?一回読んでよくわからなかった。何回か読み返してやっとわかった。

ボクが一年中ピエロの格好をしているとする。夏。暑い。暑いからピエロの格好やめようかと思う。でもっ…!ここでやめたら、一年中ピエロの格好をしてるというボクのイメージが壊れてしまう。それはダメだ、アイデンティティだから。我慢してピエロのままでいよう。こういうことでしょ。そしてそれは個性ではないと。

 

我慢してまでキャラを演じる必要がその人なりにあれば、続けたらいい。自分の所属してる劇団の、次の演目の役がピエロなんだ。公演は来年の3月。それまでに全く自然にピエロを演じられるようになりたい。なりきりすぎて、演劇中に「ん?今公演の最中か、普段すぎて素になってたわ」とリアルと劇の見境がつかなくなるくらいにまで仕上げたい。とかならわかる。

 

キャラか。「自分のモノマネ」っていう表現、初めて出会った。ボクはしてないな、自分のモノマネ。素が出せないってことだから、しんどいよね。楽しんでやれるなら、やったらいいよね。

 

八、主人公のつらさが伝わった文章表現

 

文章に限った話なんだけど、これはいつかパクろう、いい表現方法だと思った。

 

「徳永、なんでお前が泣いてんねん?」

そう言って、神谷さんは笑った。僕は未だ泣いているつもりはなかった。僕は真樹さんといる時の神谷さんが好きだった。

「泣くにしても早くない?夜、酒でも呑みながら一番泣き浴びようと思ってたのに」

「風呂みたいに言わんといて下さい」

つらい。

「お前、かけ泣きもせんと、いきなり泣き舟に浸かるって常識ないんか」

「だから、風呂みたいに言わんといて下さいよ」

つらいと感じることは、こんなにもつらいことだったのだ。

「せめて、チンコとケツくらい泣いてから、泣き舟に入れや」

「文法おかしなってますやん。チンコとケツくらい泣くって、なんですの」

つらいという言葉や概念を理解しても、つらいことの強度は減らない。

「しゃあないから、泣きタブに泣きの実入れて入ろ、今日は泣き色にしよかな」

「もう、なんのこと言うてるんかわかりませんわ」

こんな時でも、僕達は笑わなくてはいけないのだろうか。

……(99~100ページ)

 

 

真樹さんに男ができて、神谷さんが真樹さんのアパートに荷物を引き取りに向かうシーン。一人じゃ心細いからと、徳永を連れて向かっており、2人でしゃべっているところ。

 

会話のやりとりの間に短く徳永の気持ちが挟まれている。これがあるのとないのとでは、けっこう違うぞ。特に一番最初の「つらい」とかもう、すごく伝わるよ。

 

神谷さんもつらさを表に出すまいとしてるのか、おかしなことをしゃべってる。それもつらさ伝わる。けど、このシーンの注目ポイントは徳永の気持ち文だと個人的には思う。

 

…これは何のエールなんだろう。自分がグッときたものは、とにかく出す!出してみないとわかんないよ、出すべきだったのかどうか。そういうことで、次いってみよー

 

九、商業的なことを一切放棄すること

 

だが、僕達は自分で描いた絵を自分で展示して誰かに買って貰わなければいけないのだ。額縁を何にするかで絵の印象は大きく変わるだろう。商業的なことを一切放棄するという行為は自分の作品の本来の意味を変えることにもなりかねない。それは作品を守らないことにも等しいのだ。(137ページ)

 

とても当たり前で大事なことだ。自分の作品の見せ方、ブログなら記事だけど、どうしたらたくさんの人に注目してもらえるか、親切にも教えてくれる記事を書く人けっこういる。ボクたまにしか見ない。それよりも書きたくて書きたくて、書いてしまう。そんな自分に「オイッ」って腹をついてくれる一節だ。

 

いい文章書けても、タイトルのつけ方とか、人にどう広めるかとか下手だったら意味ないもんね。有名になることなく終わるか、どこかで雇われてもの書きをするしかなくなるもんね…それは嫌だよね。

 

しかし、そのためにはがんばらねばならない。がんばらないと決めたのに。がんばるとつまらなくなるからさ。うーむ。気が向いたら商業的なことにも目を向けまーす。

 

十、自分の才能に気付かないこと

 

自分が漫才師であることに気付かずに生まれてきて大人しく良質な野菜を売っている人間がいて、これがまず本物のボケやねん。(22ページ)

 

本物のボケ、という所は置いといて、自分の才能に気付かずに生きている人ってもったいない。どうなのかな。うすうす気付いてるけど、活かせてない。そういう人がとても多い気がする。メグルの直感、根拠はない。そういう人は「ストレングス・ファインダー」やるといいよ。自分の強み診断。前に書いた記事載せとくね。

 

kotoba2kai.hatenablog.com

 

神谷さんは自分の漫才で食べていけてない。でも、何かにまっすぐな人って気になってしまう。

 

「つまりな、欲望に対してまっすぐに全力で生きなあかんねん。漫才師とはこうあるべきやと語る者は永遠に漫才師になられへん。長い時間をかけて漫才師に近づいて行く作業をしているだけであって、本物の漫才師にはなられへん。憧れてるだけやな。本当の漫才師というのは、極端な話、野菜を売ってても漫才師やねん。」(21~22ページ)

 

この、長い時間をかけて近づいていく作業をしてるだけ、これだけはしたくない。しないでほしい。~はこうあるべきだ と語りたいんだったら、飲み会の席でなくて、自分の得意な表現方法で暗喩しなさい。そしたらなりたいものに本当に近づく。と思う。

 

仕事がつまらないっていうのは要するに、自分の一番得意なこと=才能が活かせてないってことだよね。職場を変えるとか、何かブログとか創作はじめてみるのは つまんなさ打破に効果あるよ。ボクは歯科技工士として、2回職場変わらしてもらったし。今の職場は割と気に入ってます。ブログで好きなこと書くのも好き。楽しい。

 

つまんない状態を維持してる人は罪だよ。なんで逮捕されないのか。「ストレングス・ファインダー」の冒頭でこんなこと書いてあるよ。

 

人の核となる性質は成人期を通じて比較的安定している……3歳のときに観察された性格は26歳のときに報告された性格の特徴と驚くほど共通していた(『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう 新版 ストレングス・ファインダー2.0』21ページ)

 

3歳でもう決まってんのか。何年前?中学1年生でも10年前だよ…。なんか恐ろしい。ボクは、平気で自分の才能に気付かずにいられるのは縦社会のせいだと勝手に思ってる。このシステムから早く脱出したい。才能はそれを手助けしてくれる。だから、まずは気づくことから。

 

おわりに

 

単に『火花』の書評をすると、又吉さんに、『火花』に乗っかっておこぼれもらいたいみたいに見えると思ってやめた。本の内容は使いつつ、オリジナルの文章作りたかったのです。ここまでお付き合いくださり、感謝です!