書評に疑問を感じはじめた

ブログはじめた当初、書評ブログにすると決めた。でもその当初から、書評以外の記事を書いている。心の底でははじめっからなんか違うなと感じていたのかもしれない。

 

ボクがブログをはじめるきっかけになったことの1つ、『アフィリエイトがまるごとわかる本2017』で、こう書いてあった。

 

とりあえず本を買って読めばネタになるのがポイントで……ネタに困らない……話題の書籍や漫画を狙ってみよう……

 

なるほど!確かに、本は本屋さんに溢れている。一生かけても読みきれない数の本が世の中には出てる。そして新しい本がどんどこ出てくる。まさに無限。ネタ無限。

なるほど。話題の本・漫画の書評を記事にすれば、PV数稼ぎやすいかもしれない。そう思ってやってみたけどね、なんか違うね、ボクには。

 

何個か違うなと感じるポイントはあって、中でも強く感じるのが、オリジナルじゃないということ。誰かが創った作品について感想を述べるのだから当たり前か。それが「評」をするということだ。アフィリエイトというのは何かを紹介してお金をもらうシステムなのだから、それでいんじゃないか。いやっ、それでは書評家になってしまうではないか。「~評家」ってボク嫌いだ。誰かが0から創り上げたものに対してあーだこーだ言ってる、0から1を創り出したことのないザコキャラみたいなイメージを持っている。もうさ、「評」をした時点で、された人(作品創った人)に負けてるやん。毎日料理してごはん作ってくれるお母さんに対して、味の文句をよく言うけど、そう言う自分はインスタントラーメンくらいしか作れないお父さん、みたいな。料理というフィールドで、この場合お父さんは一分の隙もなく負けている。

 

批評、評論全否定的なことを書いている。批評、評論に拒絶反応を感じる。

書評ブログ コツコツつくるとするやん。そのうちファンがついてくるやん。そのファンはボクのブログの評論読んで、満足してしまう現象が起きないか。この人が書いてる書評は信頼できる、とか思われたりして。原作読まない。いやいやいや。原作こそおもしろいのに!オリジナルがボク一番好きなんです。『進撃の巨人』でもスピンオフ作品とかで描く人変わると読む気失せてしまう。そういうアブナイ奴だ自分は。

 

 左:進撃の巨人 悔いなき選択(1) 右:進撃の巨人(5) Amazonより。絵が違う。なんかリヴァイが違う。

 

だから書評の記事書いてると、なんかおもしろくない。そういう本がある、と人にお知らせすることができる良い点もあるが。その本がどうだったとか読んで、自分もそう感じるかどうかは読んでみないとわかんないし。なんで読者と作者の間に仲介者がいるんだろうか。

ボクはアフィリエイトを否定してないか。…だってボクは読みたい本をブロガーさん経由で買ったことまだ1回しかないんだもん。ボクは本から読みたい本が見つかる。たまに身近な人(家族、彼女、職場の人など)から勧められて、見つかる。前者は、好きな作家さんが自分の本の中で気に入った本を紹介していて、その中にけっこうボクが読みたい本ある。そういうイミです。

 

まだ、ブロガーという存在に慣れていないんだろうかボクは。しゃべったことも会ったこともない人を信用するって、難しい。今更ながらのテーマだ。いや待てよ。好きな作家さんにも会ったことない。しゃべったこともない。じゃなんで信用してるんだろう、…自分でお金出して本買ってるからかな。どこかの出版社から出てるってことは、一応世に出しうるモノだと認められたってことだから、その辺を信用しているのかなー。そう考えると、ブログって無料で誰でも読めるし、出版社的な目利きさんもいないし、アンダーグラウンドな世界だ。今思った。だから一般人のボクもこうやって人さまの目に触れる場所に自分の文章を載せられるわけだよね。

 

ああ、スッキリした。ブログの書評がいいとか悪いとかの話は、その情報が無料であることに問題点がある、ボクはそう感じていたのだ。まだブログが全然自分の一部になってないね。まだまだ自分の記事書き足りないし、まだまだ他のブロガーさんの記事読み足りない。ネットの中をリアルガチにするにはまだまだ動き足りてなーい。それに気付けて良かった。リアルガチ。