あなたの文章にもアメリカ古典文学のユーモラスな言い回し 取り入れてみませんか?

アメリカ古典文学と言っても、サリンジャーのことなんです。J・D・サリンジャー(1919 - 2010)。この人の『フラニーとズーイ』って本を読みました。サリンジャーの本は初めてでした。村上春樹さんの訳で読んだので、原文のリアルな感覚を伝えることはできない。英語の小説を読むのはボク諦めてるので。でもなお、和文になってもクセがあるなあと読んでて感じた。文学的、小説的だなぁ、おもしろいなぁって。

 

フラニーとズーイ (新潮文庫)

フラニーとズーイ (新潮文庫)

 

  

なので今からボクが気に入ったところを8コ紹介します。次に、普通の文章にこのサリンジャー節を取り入れたら、どんな文章に変わるのかを実際にやってみます。では、いくわよ。

 

 

メグルの気に入った言い回し8コ

 

サイキとの長年にわたる協定

 

しかし、精神(サイキ)との長年にわたる協定に従って、そんな光景を目にしたことに、それを目ざとく感知してしまったことに、罪の意識を覚えなくてはとフラニーは心を決めた。そしてその結果、それに続くレーンの長話を熱心に傾聴する(ふりをする)という罰を、自らに宣告した。(24ページ)

 

精神との長年にわたる協定。ビックリしてしまった。おもしろいのは、文章からこの「精神との~従って」を抜いても、フツーに意味がわかることだ(笑) なんだろう、わかりやすく翻訳するとしたら「自分の性格的に」という感じかな。

 

七つの徳

 

グレート・ギャツビー』(これは十二歳の私にとっての『トム・ソーヤー』だった)の中で、語り手の青年がこう語っている。人は誰しも自分は「七つの徳」の少なくとも一つくらい持ち合わせていると考えるものだ、と。そして続けて言う。自分のそれは――神の恵みあれ――正直さであると思うと。私のそれは、思うに、神秘的な物語とラブ・ストーリーの違いがわかることだ。(74~75ページ)

 

すごいかしこそうじゃない?この文使えたら。

 

本物のエスプリ

 

しかし何をもってしても減じられることのないものは、そして既に平明に示唆されているように、いわば「永遠なる歓び」となっているのは、彼の顔全体に焼き付けられている本物の才気(エスプリ)だった。とくにその目に具わる才気の煌めきは、アルルカンの仮面のごとくしばしば人の心を捉え、場合によってはそれに増して人を当惑させた。(79ページ)

 

本物の才気(エスプリ)。アルルカン? この辺は読んでてよくわからなかった。ズーイがめっちゃイケメンなんだけど、それを褒めてることはわかる。どのくらいイケメンなのかしら、一度見てみたいわ。

 

まわりくどい表現

 

そのキモノはそもそもは東洋的なるものとしてデザインされたのだが、そんな事実も、ミセス・グラスが自宅において、ある種の観察者に与えるユニークにして衝撃的な印象をみじんも減ずるものではなかった。(110ページ)

 

は?3回くらい読み返した。もっとストレートにいこうよ。「そのキモノは元々東洋的なデザインだったけど、ミセス・グラスが家ん中で着ると、そんなの関係なしにめっちゃヘンだった」しかしあえてまわりくどい表現にすることで、個性を出せるのは間違いない。

 

これは最終通告だよ

 

「僕は三秒以内に風呂を出る、ベッシー。これは最終通告だよ。長居する人は嫌われるもんだぜ」(132ページ)

 

なんか好きだここ。ズーイ(25歳)が湯船に浸かってるところに、お母さん(ベッシー)がバスルームに入ってきてズーイに長話をはじめ、なかなか出ていってくれないシーン。ズーイのしゃべくりはユーモアたっぷりだ。でもほんとに身近にいたら絶対めんどくさい。「風呂あがりたいからちょっと出てくれないか」でいいのに。

 

その顔には○○と□□とが入り混じった表情が浮かんでいた。

 

彼女は息子がソックスを履くところを眺めていた。その顔には傷つけられたという思いと、洗濯したソックスに穴が開いていないかどうか長い歳月にわたって点検してきた人間の抑えがたい関心とが入り混じった表情が浮かんでいた。(169ページ)

 

2つめの“思い”がおもしろい。お母さんってそうなるのかなあと妙に納得してしまう。しかしどんな表情やねん。点検してきた人間の抑えがたい関心てw

 

近親相姦を思わせるほど

 

そこには新聞や雑誌の切り抜きを集めた七冊のスクラップブックが、それぞれの背表紙が近親相姦を思わせるほどぴったり密着した格好で (175ページ)

 

ふw 無くてもよくない?「近親相姦を思わせるほど」。近親相姦は子どもに遺伝病発症しやすいとか言うし、同じような遺伝子の組み合わせの子作っちゃうから、遺伝子の多様性に乏しく弱い個体になっちゃうよね。…やっぱりなくてもよくない?

 

遊ぶ温かく輝かしい光

 

その太陽はまたアフガン毛布全体を照らし、淡いブルーの羊毛の上で遊ぶ温かく輝かしい光は、いつまでも見飽きないものだった。(178ページ)

 

美しい。光に「遊ぶ」という表現を使うところがおしゃれだわ。

 

 

では次から、これらの表現を普通の文章に取り入れるとどうなるか、やってみる。夏休み近いし、プールに遊びに行った日記文を題材にしよう。

 

7月30日(日) 屋内プール施設に妹を連れて遊びに行った

 

夏休み。どこか遊びに連れてってくれと妹が頼むので、じゃあ と屋内のプールに車で行ってきた。

 

人でごった返していたが、なかなかに楽しかった。ウォータースライダーがスリル満点で、スピード感にスカッとした。妹ははじめ怖いと言って列に並ばなかったが、待ってるのが退屈だったのかボクにだいぶ遅れて列に並んだ。スライダーの出口で妹が出てくるのを待っていると、ビキニのおねいさんについ目がいってしまう。一人、チャイナドレス風のビキニ(上はフツーで、下にスリットの深く入ったスカートがついてる)のキレイなおねいさんを見つけた。あの人はCカップだ。ボクにはBカップとCカップの違いがわかる。思わず見とれていると、「にいちゃん、スケベ。やめないと大声出すよ」と妹に頭をぺちんと叩かれる。

 

お昼。プール内の売店でお弁当を買った。なんかよく冷えている。弁当のスペースの半分はごはんで、俵形のものがぎゅうぎゅうに詰まっている。妹はものを食べる時、活き活きした顔をする。「ちくわ天うまー!」とか言ってる。

 

なんだかんだ遊んでたら帰んの夕方になった。車運転してて、夕日が射し込んでまぶしかった。助手席に座った妹は遊び疲れて寝てた。寝顔は夕日に照らされてくっきり見えた。

 

 

はい、この日記文に、サリンジャー節を取り入れてみます。

ちなみにどっかから勝手に日記文パクったりとかはしてない。テキトーに今作った。

 

7月30日(日) 屋内プール施設に妹を連れて遊びに行った

 

夏休み。どこか遊びに連れてってくれと妹が頼んできた。妹は変わり者なので友達が少ない。遊びに行く友達見つからず、ぼっちか。しかし、精神(サイキ)との長年にわたる協定に従って、そんな光景を目にしたことに、それを目ざとく感知してしまったことに、罪の意識を覚えなくてはとボクは心に決めた。そしてその結果、妹の申し出に素直に従う(ふりをする)という罰を、自らに宣告した。じゃあ と府内の屋内プールに車で行ってきた。

 

人でごった返していたが、なかなかに楽しかった。ウォータースライダーがスリル満点で、スピード感にスカッとした。妹ははじめ怖いと言って列に並ばなかったが、待ってるのが退屈だったのかボクにだいぶ遅れて列に並んだ。スライダーの出口で妹が出てくるのを待っていると、ビキニのおねいさんについ目がいってしまう。一人、チャイナドレス風のビキニ(上はフツーで、下にスリットが深く入ったスカートがついてる)のキレイなおねいさんを見つけた。そのチャイナドレスビキニはそもそも中国的なるものとしてデザインされていたのだが、そんな事実も、そのおねいさんが屋内プールにおいて、ある種の観察者に与えるユニークにして衝撃的な印象をみじんも減ずるものではなかった。あの人はCカップだ。『グレート・ギャツビー』(これは12歳のボクにとって『トム・ソーヤー』だった)の中で、語り手の青年がこう語っている。人は誰しも自分は「七つの徳」の少なくとも一つくらい持ち合わせていると考えるものだ、と。そして続けて言う。自分のそれは――神の恵みあれ――正直さであると思うと。ボクのそれは、思うにおねいさんの胸がBカップかCカップかの違いがわかることだ。思わず見とれていると、「あたしは三秒以内に大声を出す、にいちゃん。これは最終通告だよ。ジロジロ見るスケベは嫌われるもんだぜ」と妹に頭をぺちんと叩かれる。

 

お昼。プール内の売店でお弁当を買った。なんかよく冷えている。弁当のスペースの半分はごはんで、そこには俵形のおにぎりが10コ、それぞれの俵が近親相姦を思わせるほどぴったり密着した格好で、詰まっている。妹はものを食べる時、活き活きした顔をする。しかし何をもってしても減じられることのないものは、そして既に平明に示唆されているように、いわば「永遠なる歓び」となっているのは、彼女の顔全体に焼き付けられている本物の才気(エスプリ)だった。とくにその目に具わる才気の煌めきは、アルルカンの仮面のごとくしばしば人の心を捉え、場合によってはそれにも増して人を当惑させた。「ちくわ天うまー!」とか言ってる。ボクは彼女がちくわ天を食べるところを眺めていた。その顔には ちくわ天は間違いなくうまい という思いと、果してこのちくわ天が今までで一番うまいのかどうか長い歳月にわたって点検してきた人間の抑えがたい関心とが入り混じった表情が浮かんでいた。

 

なんだかんだ遊んでたら帰んの夕方になった。車運転してて、夕日が射し込んでまぶしかった。助手席に座った妹は遊び疲れて寝てた。夕日は妹の寝顔全体を照らし、満足そうな表情の上で遊ぶ温かく輝かしい光は、いつまでも見飽きないものだった。

 

おわりに

 

シメがとてもいい感じになったね。だいぶ個性が出るね。しかし日記の中の「ボク」が、シスコンむっつりスケベ変態野郎みたいになってないか。妹も急に「~だぜ」なんて言い出すし。女性の胸のカップの違いがわかるのは、「徳」の1つになり得るのか。神の恵みあれ、と謙虚ぶっても全然ダメだ、アホにしか見えない。ツッコミどころが満載だ。でも、おもしろかった。

 

楽しんでいただけました?ここまでお付き合いありがとうございます。最後まで読むなんて、やるわね。