理想高き自分から、いい子ちゃんでいさせようとする自分から、自分を守るための文章

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また記事書けてない…。本も読み進められてない…。運動も土日できてなかったな…。

またこれかよ。何か考え方がおかしくないか僕?考え方というか、自分の能力限界…稼働容量限界、の設定おかしくないか?

まるで洗濯機に蓋が閉まらないくらい洗濯物を詰め込んで、「この洗濯機また動かないんだけど。てか蓋がまず閉まらないんだけど!ポンコツか!!」って言ってるようなもんだよな。…狂気だな。でも全然気付けない。ただ元気だけ失くしてゆく。

 

こんな日記書く元気あるんなら、書こうとしてる記事書く方にエネルギー費やせよ。ってまた生身の自分を無視した自分が攻撃してくるよ。いや、記事書く気起こんねんだよ。本読む気も(本はまだ記事に比べたら、読む気出そうな気するけど)。

…てことは、心からどうしても書きたい、書かないと気持ち悪くておかしくなりそう、というヤツじゃないんだよ。今「書けてないなあ…」で止まってる記事は。誰に対して体裁を保とうと考えてるのか謎だが、ブログっぽい内容の記事にしようとしているんだ僕は。いい子ちゃんでいようとしているんだ。その方が読まれるだろうし、アクセス伸びるよきっと、みたいに考えて。本にも書いてあったしとか考えて…

 

クソったれーーーー!!!!

 

そんな、夏休みの宿題みたいなノリで書かれた文章、例えば読書感想文とか、先生以外誰が読む!僕はクラスの人が書いたやっつけ感想文は読まないと思うぞ。つまんないし。これだけ書いとけば可はもらえるだろう的なモノ、おもんないじゃないすか。まだ書かない方がまし、読書感想文提出しない方がいさぎよい。

「読書感想文だと書く気出ないし、クソみたいなのしか書けなさそうだったので、官能小説を1つ書きました」とかの方がいいよ。うん。

 

何で今この文書けてるかと考えてみると、今僕のメンタルは理想高き自分に責め立てられて押し潰されそうで、そこから自分をなんとか救いたいと強く!思うから感じるから書けるのだ。それに比べると、『進撃の巨人』のギャグシーンの記事とか、神戸どうぶつ王国に行ってきた記事とかは、今の自分が「これは書かなっ!書かないとっ!!」という切迫感がない。勝手に自分は生きるためにより重要な方を選ぶ力を持っているんだ。だからこれでいい。

 

生活してゆけてるだけで十分…いや、それで100点満点だ。他には何も要らない。理想高き自分はボッコボコにブッつぶさないといけない。二度と立ち上がれないように。駆逐しなければならない。一匹残らず…